四国 丸亀に出世大将帰る
初代 郁太郎
予を最も愛撫していてくれた祖父が、突然、老衰の為に死んだ。そして、東京から、予の伯父で、予の母の長兄である郁夫夫妻が一子ミツを連れて帰って来た。この伯父は、予の一家にとっては、出世大将で、当時、陸軍の主計大尉であった。「東京の伯父さんが帰って来た」と言うので、一家親族は、毎日の如くに予の家に集まり、伯父もまた、国を去って、初めての帰省であるから、連日大判振舞いをして、隣り、近所を散々羨ましめたものであった。当時、伯父は、ふとした話の序でに、予の母に向かい、「子供を何時までも、田舎で育てる事は考え物だ。小学校さえ卒業したら、3人共、皆、東京え寄越したらどうだ。」これには、予の両親は勿論、予等兄弟としても、闇夜に光を見たような、明るさを感じ、もう立派な人間にでもなったような気持ちを持ったのである。かれこれするうちに、予はかなり良い成績で高等小学校を卒業し、続いて、亀陽学舎に通学して、英漢数の3科目を一生懸命に勉強した。其の頃、日清戦役が始まった。その余波を受けて、父の商売はあがったりになった。これには、さすがの父も弱ってしまい、終には、軍夫の募集に応じて、出征せんとまで、心を決めたのであった。しかし、色々と運動の末、やっと丸亀連隊に臨時に出来た衛戍病院に、荷受人として採用される事になった。今迄仕事場で終日、鑢や刃物をいじっていた父は、其の時から、黒い洋服に軍帽をかぶって毎日連隊の営門を出入りする事になったのである。この戦争は約、2年続いて我が軍の大勝利となり、出征の兵士は威風堂々と凱旋してきたが、戦争の為に、傷つき、病を得た者は、容易に快癒することは無かった。そして、戦争が終わった後になって、新患者の数が増えてきた。そのため、父の仕事は日一日と忙しくなり、幾日も幾日も当直を続けて、家に帰る日が少なくなった。反面、お蔭で予の学資も満足に賄いうるようになり、母と予は、何時も喜んでいたのであった。何時の世も同じであるが、戦争が起こると、若い者の志望がガラリと変わり、軍人に集中される。其の時もそうであって、猫も杓子も、仕官学校、海軍兵学校と、それを志望する者が増えて来たのであった。若い小学校の先生が、陸士の試験に通った、だれ某は幼年学校に入ったと、それぞれの噂が、町の声として、人々の心を沸き立たせていたのであった。其の内に、予と共に、妹尾先生の所に漢学を習いにいっていた吉田耕一が陸士の試験にパスした、次いで予の先生であった新奥新太郎、喜多卯吉、隣家の橋野万蔵、も陸士に受かった。この頃から予の弟の研二は海軍兵学校えの志望が兆しかかったのであった。環境は時勢の波にあほられて、陸海軍えと若い者を引きつけて行くのであったが、予は元来、身長が五尺をちょっと出たばかりであったから、このあほりから取り除かれたことは当然である。それにしても、彼等の立身を白眼視していることには我慢できない。自分も又、それに相応する立身をしたいと念願をしていたが、何をやろうか。何処え向かうべきか。その立志の確定に毎日を送っていたのであった。


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