18歳で家を旅立つ 観音寺え
今から思えば、戸川氏夫妻の暖かい心ずかいが与っての力があったものと思う。時に予は18才であった。生まれて初めて、父母の膝元を離れて、観音寺に旅立つのである。僅か行程7里弱の処であるが、それでも、当時の予にとっては、千里異境に行くの感がしたのであった。母は、この初旅の予を送るために、新しい着物を整え、布団を新調し、何日もかかって、一つ一つ中型の柳行李に詰め込むのであった。時は、桜には早い3月の中旬であった。予は、いよいよ懐かしい故郷を後に、観音寺えの初旅に出るのである。両親や友人知己に送られる予は、一台の人力車に乗り込み、両股で柳行李を挟み「それでは行って参ります」と西に向かって走り出した。車は静々と丸亀から金蔵寺え、金蔵寺から鳥坂と進む。車夫はかねてから父と心安い者、殊に父から懇々倅の事を頼まれている関係で、車を引きながら車上の予に向かって、何くれと無く、面白い話を始めるのであった。其の内に、金蔵寺も過ぎ、鳥坂の中腹え差しかかった。坂はさして、峻険と言う程ではないが、老車夫にとっては、かなりに苦難であった。丁度良く坂の中途に一軒の茶店がある。ここは、この道を往復する者の休み処で、予も車夫の薦めで、ここで一休みする事になり、ホッと息をはいたのである。一休み後の車棒は軽かった。それよりだらだら坂を上高瀬、下高瀬、本山、と色々な村を突っ切って、午後4時に目指す観音寺町に辿り着いたのである。予が着いた観音寺郵便局というのは三等局で、それを経営しているのは、東と言う上市唯一の醸造家、藤田東三郎と言う人であった。郵便局は、其の酒屋の西側にある、小奇麗な二階建てで、内部は一つ所帯であるが、表面は、ハッキリと二つに区画されていたのである。酒屋の方は、東三郎翁が引き受け、郵便局のほうは長男のがいちさんが引き受け、局長でもあった。がいちさんは電信技術を終了した資格者で、聡明な好男子であった。何時も美しく髪を梳り、キチンとした着物に袴をはいていた。予が東三郎翁に会い、がいちさんに迎えられると、彼は非常に歓迎し、予を先導して、局の先輩である大西さん、戸祭さんに紹介された、其の日より大西さんが主となって、親切に予の世話をしてくれたのであった。

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