本牧ー妙蓮寺-蒲田ー原宿え
地獄えの入り口ー原宿に引越すーちえこ
秋に有名な室戸台風が来て、30メートルの風が吹き、家の周りの塀や日除けの鉄棒も皆飛んでしまった。夜中には裏山がどーんと崩れて、大木が横倒しになった。もう少し家の方だったら、おばあちゃんの部屋は潰れていただろう。
毎月に、きちんと入る月給で、少しずつ生活が落ち着いてきた頃、菊名の山の上、妙蓮寺駅の近くに、いい家が有ると浩が見つけて来た。家賃は24円、昭和9年10月に引越した。私は3人目の次男を妊娠し、あくる10年3月21日に次男 健が誕生した。世の中は段々ときな臭いが増え、神社で行われる出征兵士の壮行会が目に付きだした。浩の伯父は理学博士で、地質学で鉱山「金鉱、石炭山」の権威で、当時三菱鉱業の技術重役として北海道で活躍していた。その伯父が、会社を辞め、自分で北海道大沼での鉄山開発を目指して新会社を設立した。「当時の世相は戦争を控え、鉄を求める強い時代の慾求があったのであろう」伯父はは原宿に敷地100坪以上の邸宅に住んでいた。当時の原宿は華族お屋敷が多く、広い邸宅の庭には柿の木が沢山植えられ、極めて静かな住宅地であった。伯父は新会社を設立して浩を支配人採用し、自宅の近くにあった80坪の庭に古屋の借家を世話してくれた。私達は早速、家賃25円の古屋に引っ越した。暫くして、伯父が会社を設立した際、株の発行で不正があったとかで警察沙汰になり、ゴタゴタしている内に伯父が脳溢血で倒れた。半身不随であった。酒が好きな人であったが、下部温泉で療養に努めたが、2回目の発作で亡くなった。その後、会社は製薬会社を経営されていた丹沢さんに後継社長を、浩がお願いして事業を存続、活動する事になった。それで浩は、いくらか余裕が出来たと見え、自分ばかり贅沢を始めた。又、5000円で借りていた古屋を買い、家を壊して立て直すと言う。時あたかも戦争が益々激しくなる事が予想される時に、家を建てるなんてとんでもないと反対したが、浩は聞く耳を待たなかった。後年待ち受ける地獄の入り口は段々大きくなり始めていた。

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