伯母のいじめ
弟はこれまで残酷ないじめを伯母から受けていた
毎朝5時に起こされ邸内の深い井戸から重い釣瓶を手繰って、風呂の水を30杯ほど天秤棒で担いで汲み入れた、学校から帰ると、風呂の汲んだ水の上に松や楓の葉が浮いていたと伯母は激怒して、水を流し、再度汲み入れさした。又ある夜、学校から帰宅し復習をしている際、昼の疲れで、そのまま机にもたれて眠ったのであるが、いつか寒気を感じて目を覚ますと、机の上にあったランプが消えていた。ランプが消えている以上、誰が消したのであろうか、その際両親であれば、風邪を引くから早く寝ろとか、羽織の一枚も肩に掛けるとかしてくれるであろう。これはほんの一、二例であるが伯母のなす事、する事、いつも実母のそれと比較して、無性に伯母を厭忌し、癪にさわり、幾度人知れず泣かされたか知れなかったのであった。それらが積もり積もって、遂に国許えの手紙となり、それが伯父の読む所になって、伯父から目から火の出る様な叱責となった。予も、この状況には一驚を喫したのであった。そしてこのまま、伯父の世話を受けて両人が寄宿していては、海軍志望の弟の健康を害すること必定である。さればといって我々の両親に、今更、我侭を言って飛び出し、金を送れと言うのも恥ずかしい。そこで一日、二人で密かに相談した末、一先ず予が先に家を出て収入の道を図り、その目策がついてから弟を引き取る事にしたのである。然るに、この話は伯父にとっては、非常な衝撃であった。それは、いやしくも伯父が子供を引き受けるからと、予の両親に約束して上京させたのに、その肝腎な子供に逃げて行かれるのであるから、痛かったのには相違ない。そのため、あらゆる手を以って、それを思い止まらせようとしたのであったが、こちらの決意が余りにも固かったので、さすがの伯父も遂に予の外泊を許したのであった。これより前、予は親友の香川、大岡としばしば接近をしていた。そして伯父宅の事情も二人に話していたので、一先ず両君の下宿に世話になる事に決め、その承諾を得ていたのである。又、勤めの方は、幸い多度津で散々お世話になった戸川さんが当時、東京郵便電信局に在勤していたので、戸川さんに就職を依頼し、そこえ勤めることになった。かくのごとくして予は明治33年の5月28日付きで電信局の通信助手を拝命し、伯父の家を出て、神田区神保町の両君の間借りをしている6畳間に入った。

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