寒がり羊が原宿小学校え
昭和14年春、原宿小学校に入学した
原宿小学校は神宮前3丁目10番にあり、いやあったというべきであろう。渋谷区では戦後の町名改正で、原宿より神宮前の方が通りが良いと判断したと見える。現在になって、原宿がブランドになるとは夢にも思はなかったのだろう。いまでは原宿の名が付くものは駅、警察、ぐらいか?昔は穏原小学校であった。明治14年9月、原宿、穏田、両村の連合公立小学校となり、その後、穏原「おんばら」尋常小学校と改称され、明治33年10月、現地に校舎が新築された。「33年は羊のおじいさんが丸亀から上京した年と重なる」この隠原と言う名付親は表参道脇のお屋敷に住む大山巌「陸軍元帥」だと言われている。当時は稲田が見える静かな田園の中の学校であったが、付近に段々と住宅が増え、児童数も増加した為、大正12年4月に分教場「現在の神宮前小学校」が設置された。昭和16年4月から渋谷区立原宿国民学校と改称。昭和19年から児童は戦争の為、奥多摩、静岡の掛川のお寺、最後は青森の五所川原のお寺にと、集団疎開で引っ張りまわされた。羊たちよりも下の、児童と先生の苦しみは、大変な事であったろう。昭和20年5月25日の夜、B-29500機の焼夷弾により歴史ある校舎は灰燼に帰した。終戦後の昭和21年3月、65年にわたる輝かしい学校の歴史に終止符が打たれた。寒がり羊は原宿が好きだった。大きな屋敷には庭に多くの柿の木が植わっていて、秋になると、柿泥棒に、熊野神社のお祭りの屋台では新聞紙に包まれたどんどん焼きが好物だった。日曜日には原宿教会に行き、賛美歌を歌って、綺麗なカードを貰った。和菓子屋では、まだ砂糖やあんこがあり大福を幾らでも食べる事が出来た。戦争に突入する前の、自由な、そして、贅沢な、毎日。夕日が沈む前の一瞬の光芒の中で迷える羊は少年時代を過ごした。

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